(1) 概要
甲が乙に自分の所有する甲パソコンを10万円で売ろうといい、乙が甲に甲パソコンを10万円で買おうといった場合には、両者の意思表示は一致しているから、原則として甲と乙が意欲したところに従ってその効力を生ずることになります。
しかし、甲がそのような意思表示をしても、実際には、甲にはその気がなったり、誤ってその気になったりした場合もあります。そうだとしても、甲の意思表示を乙が信じてその申込みに応じた以上、乙や第三者の利益の保護の観点からして、原則として、甲は、自分のした意思表示に従って義務を負担しなければなりません。ただ、この意思表示をしたことについて甲自身や乙の帰責性の程度やこの契約の第三者などの状況によっては、甲に自分のした意思表示に即した義務を負わせないことが、かえって公平に適する場合もあります。そこで、契約の一方または双方の当事者について、それぞれの意思表示と真意とが、食い違っている場合に、この契約の効力をどう扱うべきかが問題となるのです。
(2) 心裡留保
① 原則
意思表示は、意思表示をした者が(これを表意者といいます)、真意でないことを自覚していた場合には(このような場合を心裡留保といいます)、表意者がその契約の効力を否定することはできません。これは、このような場合に、表意者に真意がなかったからといって、当然にこの契約の効力が否定されてしまうとすれば、相手方の利益を不当に害することになるからです。表意者は、意思表示が真意と一致していないことを自覚しているのであるから、この表意者を保護する必要はありません。例えば、甲は、自分の所有する骨董品を売る気はなかったが、まさかこんな物に対して大金を出して買う者はいないと考えて、その骨董品を100万円でなら売ろう、といったところ、乙がその骨董品を100万円で買おうと応じた場合には、甲は乙にその骨董品を引き渡さなければなりません。
② 例外
相手方が表意者のした意思表示が真意に基づくものではないことを知っていたか(これを悪意といいます。これに対し、その事実を知らないことを善意といいます)、または知ることができたときは(これを有過失といいます)、表意者はその契約の無効を主張することができます。このような場合には、相手方を保護する必要がないからです。そのため、先の設例においても、甲は、意思表示が心裡留保に基づくものであることと、乙の悪意または有過失を主張・立証すれば、乙の引き渡しの請求を拒否することができるのです。
③ 第三者との関係
表意者が相手方に対してその契約の無効を主張できる場合であっても、善意の第三者に対してはその無効を主張することができません。これは、表意者のした意思表示を信頼した第三者の利益を保護するためです。例えば、先の設例でいえば、甲が乙に対して骨董品を売るという意思表示の無効を主張する前に、乙がその骨董品を善意の丙に転売した場合には、甲は、丙に対し、その骨董品を引き渡すことを請求することができないことになります。
(3) 虚偽表示
① 意義
相手と通じてした虚偽の意思表示を虚偽表示といいます。虚偽表示は無効です。これは、両当事者は、いずれもこの意思表示に従った効果の発生を本当は望んでいなかったのだから、少なくとも当事者間の問題に関する限りは、表示されたとおりの効果を認めるべきではないからです。例えば、Aが債権者Dの差し押さえを免れるために、Bと通じて自己所有の甲不動産をBに売却したことにして、甲不動産をBに引き渡し、A→Bという所有権移転登記がされた場合です(所有権移転登記がされると、売買契約により所有権がA→Bに移転したという事実が公示されます)。この場合、AB間には一致した意思表示が存在するから、売買契約は成立していることになりますが、その意思表示は虚偽表示であるから無効とされるので、その売買契約は無効とされるのです。
② 善意の第三者との関係
(ア) 趣旨
虚偽表示の無効は、善意の第三者に主張することができません。これは、意思表示の外形を信頼して取引関係に入った者を保護する必要があるとともに、虚偽の意思表示をして真実と異なる外形を作り出した権利者がその権利を失うことになってもやむを得ないと考えられるからです。この原則は表見法理または権利外観法理と呼ばれます。
(イ) 保護される第三者
94条2項の「第三者」とは、当事者またはその一般承継人以外の者であってその表示の目的につき法律上の利害関係を有するに至った者を指します。これは、94条2項は、虚偽の意思表示を真実なものであると信頼してその意思表示の効果につき利害関係の当事者となった第三者を保護することを目的とするものだからです。例えば、先の設例の場合に、Bを所有者と信じてBからその甲不動産を購入したCや、甲不動産の上に抵当権の設定を受けたDなどです。また、先の設例のCから甲不動産を購入したD(これを転得者といいます)も「第三者」に含まれるとされています。これは、転得者ⅮもAB間の虚偽の意思表示を信頼して利害関係に入った者であることに変わりはないといえるからです。
(ウ) 「善意」の意味
94条2項の「善意」とは、虚偽表示であることを知らないことです。判例は、善意であればよく、無過失である必要はないとしています。これは、虚偽表示は、外形を作った者が外形どおりの責任を負うべき場合だからだからです。しかし、学説では、過失のある者は、真実の権利者の犠牲においてその信頼を保護するに値しないと考えられるから、無過失も要件として必要であるというべきだとされています。
善意が要求される時期は、第三者が利害関係を有するに至った時点です。これは、94条2項は、利害関係を有するに至った時点において、その虚偽表示を真実なものとして信頼した第三者を保護することを目的とするものだからです。
③ 94条2項の類推適用
(ア) 94条2項が類推適用される場合
判例は、Aの所有する甲不動産について、不実の所有権移転登記の経由がAの不知の間に他人Bの不正な手段によって勝手にされた場合でも、Aがその不実の登記がされていることを知りながら、これを存続させることを明示または黙示に承認していたときは、94条2項を類推適用し、Aは、その後、甲不動産について法律上利害関係を有するに至った善意の第三者Cに対して、登記名義人Bが所有権を取得していないことをもって、自分の所有権を主張することができないものと解するのが相当であるとしています。これは、不実の登記が真実の所有者の承認のもとに存続させられている以上、その承認がその登記がされるより前に与えられたか(相手方と通じて虚偽表示をした場合のことです)、それとも登記がされた後に与えられたかによって、登記による所有権帰属の外観を信頼した第三者の保護に違いを設けるべき理由はないからです。類推適用とは、要件をそのまま充たすわけではないが、それと類似した事情が認められる場合において、その条文を適用することをいいます。
また、甲不動産の所有者であるAから甲不動産の賃貸に係る事務や他の土地の所有権移転登記手続を任せられていたBが、Aから交付を受けた甲不動産の登記済証、印鑑登録証明書等を利用して甲不動産につきBへの不実の所有権移転登記がされた場合において,Aが、合理的な理由なく上記登記済証を数か月間にわたってBに預けたままにし、Bの言うままに上記印鑑登録証明書を交付したうえ、BがAの面前で登記申請書にAの実印を押捺したのにその内容を確認したり使途を問いただしたりすることなく漫然とこれを見ていたなどの事情の下では、Aは、民法94条2項・110条の類推適用により、Bから甲不動産を買い受けた善意無過失のCに対し、Bが甲不動産の所有権を取得していないことを主張することができない、とした判例があります。これは、Aには、不実の所有権移転登記がされたことについて自らこれに積極的に関与した場合やこれを知りながらあえて放置した場合と同視し得るほど重い帰責性があると考えられるからです。なお、94条2項と併せて110条が類推適用されているのは、虚偽の外観を作り出すことについて、AではなくBが積極的に関与しているからです(類推適用とされているのは、Cが信頼したのはBの代理権ではなく、B名義の登記だからだと考えられます)。そのため、Cには、善意だけでなく無過失も要求されることになります。
このように、相手方と通じて虚偽表示がされた場合でなくても、虚偽の外観が作り出されたことについて、たとえ権利者が自ら積極的に関与してなかったとしても、その存在を知りながらあえて放置していた場合には、権利者が積極的に虚偽の外観を作り出した場合と同視することができると考えられるので、94条2項の類推適用により、善意の第三者は保護されることになります。
また、虚偽の外観が作り出されたことについて、権利者が積極的に関与しておらず、また、その存在を承認していなかったとしても、その外観を作り出す原因を与えている場合には、虚偽の外観を作り出すことについて権利者が自ら積極的に関与していた場合やその存在を知りながらあえて放置していた場合と同視することができる事情があれば、94条2項の類推適用により、善意の第三者は保護されることになります。
(イ) 94条2項の類推適用の意義
不動産の登記が何らかの理由で無効となった場合には、その登記を信頼して取引をした者は、登記名義人から不動産を譲り受けたとしても、権利を取得することができません。これは、登記には公信力がないからです。そこで、94条2項を類推適用することによって取引の安全を図ることができます。これに対し、動産の場合は、目的物を占有している者を権利者と信頼して取引した者は、占有者から目的物を譲り受けると、権利を取得することができます。これを即時取得といいます。これは、占有には公信力があるからです。そのため、94条2項の類推適用は、もっぱら不動産取引について問題となるのです。
(4) 錯誤
① 意義
意思表示は、一定の錯誤に基づくものであって、その錯誤が契約の目的および取引上の社会通念に照らして重要なものであるときは、取り消すことができます。錯誤とは、意思表示から推測される意思と真意との食い違いが生じている場合であって、その食い違いを表意者自身が知らないものをいいます。
このような錯誤の場合には、意思表示から推測される意思に対応する真意が存在しないので、その意思表示を取り消すことができるものとして表意者の保護を図っているのです。もっとも、表意者の保護を大きくすると、取引の安全が害されてしまいます。そのため、錯誤による取消しにおいては、この両者をいかに調整するのかが困難な問題となっています。
② 要件
(ア) 一定の錯誤があること
一定の錯誤とは、㋐意思表示に対応する意思を欠く錯誤、㋑表意者が契約の基礎とした事情についてその認識が真実に反する錯誤を指します。
㋐ 意思表示に対応する意思を欠く錯誤(表示行為の錯誤)
例えば、ⓐAは、乙所有の甲パソコンを10万円で買うつもりで、間違えて100万円で買うと言ってしまい、乙がこれを承諾した場合や、ⓑAはポンドとドルは同価値だと誤解していたので、10ポンドを意図していたのに10ドルで甲パソコンを買うと言ってしまい、Bが承諾した場合などです。これらの場合を表示行為の錯誤といい、その中でⓐの場合を表示上の錯誤といい、ⓑの場合を内容の錯誤といいます。もっとも、このような態様が問題となることは少ないです。表示全体を総合的に判断すると、誤記・誤断であることが相手方にわかる場合が多いからからだと考えられます。
㋑ 表意者が契約の基礎とした事情についてその認識が真実に反する錯誤(動機の錯誤)
(A) 意義
例えば、Cは、D所有の乙土地付近に鉄道の駅ができるといううわさを聞き、この乙土地をDから購入したが、うわさは事実無根であった場合などです。この場合を動機の錯誤といいます。動機とは、法律効果を欲する意思を発生させる過程のことです。
もっとも、動機の錯誤の場合には、その事情が法律行為の基礎とされていることが表示されていたときに限り、その意思表示を取り消すことができます。これは、動機の錯誤の場合にも表意者を保護する必要はあるものの、どんな動機の錯誤による意思表示の効力を失わせることができるとすると、動機は通常相手方にわからないので、相手方を害することになるが、その事情が表示されていれば、相手方を害することはないと考えられるからです。なお、その事情は黙示的に表示されていてもよいとされています。
(B) 法律行為の基礎とされている事情
動機の錯誤として取消しが認められるには、表示されたその事情が「法律行為の基礎とされている」ものでなければなりません。では、どのような場合が「法律行為の基礎とされている」事情となるのでしょうか。
ⓐ 主観的理由の錯誤(目的物に関連しない錯誤)
契約の内容そのものに関する誤解・誤信ではなく、契約をするに至った主観的理由や前提事情について誤解があったにすぎない場合には、誤解があったことを主張して、その契約の効力を否定できるとすることは適当ではありません。例えば、東京に転勤になると誤解して東京でアパートを借りる契約をした場合、友人の婚約が破棄されていることを知らないで婚姻祝いとする目的で品物を買った場合などです。これらの主観的理由や前提事情は、表意者にとって自己の領域内の出来事にすぎないのであり、表意者自身がリスクを負担すべき領域だからです。そのため、たとえこれらの事情が表示されていても、錯誤取消しは認められるべきではないでしょう。
ⓑ 性状の錯誤(目的物に関連する錯誤)
意思表示の対象である人や物の性状(性質)に関する錯誤がある場合には、それが意思表示の内容を構成しており、その性状を備えていなかったときは、法律効果の発生を欲する意思は存在しないので、「法律行為の基礎とした事情」について錯誤があると考えられます。例えば、馬の売買契約において、受胎している良馬と誤信して駄馬を購入した場合です。これは、「この馬」として売買された場合には、意思表示の内容の錯誤とはならないが、受胎している良馬として売買された場合には、意思表示の内容の錯誤となるのです。このように考えることによって、表意者の保護と取引の安全とを調和させることになるのです。
ⓒ その他の前提事情に関連する錯誤
例えば、離婚に際して財産分与をしても税金は課せられないと考えていたのに、実際には土地を財産分与した者に多額の譲渡所得税(土地の値上がり分に課税される税金です)が課せられた場合には、課税されないという前提事情が表示されて意思表示の内容になっていれば、錯誤取消しを主張することができます。
(イ) 重要なものに関する錯誤
㋐ 趣旨
いずれの錯誤であっても、錯誤取消しが認められるには、その錯誤が契約の目的および取引上の社会通念に照らして重要なものであるときでなければなりません。これは、表意者の保護と取引の安全を調節するためです。どのような場合に、その錯誤が重要なものであるといえるかについて、判例は、その錯誤がなかったならば、本人はその意思表示をしなかったであろうと考えられるものであり、かつ、そのことが一般取引上の通念に照らして妥当と認められるものをいうとされています。
㋑ 具体的な態様
(A) 人の同一性・性状に関する錯誤
人の同一性の錯誤とは、人違いのことです。人の性状に関する錯誤とは、人の身分や資産についての錯誤のことです。この点については、個人に重きをおく契約であれば、重大なものに関する錯誤となります。
例えば、贈与の受贈者や賃貸借・消費貸借の借主について錯誤、保証契約における主たる債務者が誰であるかについての錯誤は、重要なものに関する錯誤となります。これは、内容の錯誤に該当します。これに対し、現実売買(例えば、コンビニでの買い物などです)のように、契約を締結することについても、その後の履行についても、継続的な関係を残さない者においては、重要なものに関する錯誤とはなりません。
また、売買における買主の属性(国だと思ったが実は財団法人だった場合)や支払能力(代金を現金で支払う資力があると誤信した場合)についての錯誤も同様です。しかし、この態様の錯誤は、多くの場合、動機の錯誤であるから、表示されているかどうかを慎重に検討すべきです。
(B) 目的物の同一性・性状に関する錯誤
目的物の同一性に関する錯誤は、通常は重大なものに関する錯誤となります。例えば、甲不動産を買う意図で乙不動産を買う意思を表示する場合です。これは、内容の錯誤に該当します。
目的物の性状に関する錯誤は、目的物の個性に重きをおく契約であれば、重大なものに関する錯誤となります。例えば、駄馬を受胎している良馬と誤信して買う場合です。ただし、この態様の錯誤は動機の錯誤であるから、表示されているかどうかを慎重に検討すべきです。
なお、目的物の範囲・数量・価値に関する錯誤は、特に著しい食い違いのある場合のほかは、重大なものに関する錯誤とはなりません。
(C) 法律状態の錯誤・法律の錯誤
この点についての錯誤は、その法律状態などが重要な意味をもつ契約については、重大なものに関する錯誤となります。例えば、勝訴の判決があったのを知らないで示談した場合、会社の取締役が取締役就任前の債務について株主総会の免責決定で免責を得たと誤信して就任した場合(このような決議は法律上無効です)などです。
(ウ) 表意者に重大な過失がないこと
錯誤が表意者の重大な過失(重過失)によるものであった場合には、原則としてその意思表示を取り消すことができません。これは、錯誤について表意者に重過失がある場合には、もはや表意者を保護する必要がないからです。重大な過失とは、表意者の職業や行為の種類・目的などに応じ、通常になすべき注意を著しく欠くことを意味します。例えば、株式売買を営業とする者が会社の定款を調査しない場合、会社の監査役が株主総会の決議で取締役の責任がなくなると誤信する場合などです。また、表示上の錯誤において、相手方にわからない場合には、表意者に重大な過失があると見られることが多いと考えられます。
なお、重大な過失があるということの立証責任は、錯誤取消しの主張を否定しようとする相手方が負担する。
もっとも、①相手方が表意者の錯誤について、知っていたとき、または重過失によって知らなかったとき、②相手方が表意者と同一の錯誤に陥っていたとき(これを共通錯誤といいます)には、表意者は錯誤について重過失があってもなお錯誤による意思表示の取消しをすることができます。①の場合には、表意者の錯誤を知っていたり、重過失によって知らなかったりする相手方を保護する必要がないからです。②の場合は、両当事者がともに同じ錯誤に陥っているのであるから、相手方に配慮して表意者からの錯誤の主張を制限する必要はないからです。
③ 効果
表意者が錯誤によりした意思表示は、取消しをすることができます。錯誤は表意者を保護する制度だから、その効果は無効ではなく取消しとされています。取消しに関する問題(取消権者・取消権の行使・取消権の効果・追認)は、未成年者取消権の箇所で述べたことが当てはまります。もっとも、錯誤に基づく取消しによる原状回復義務の範囲は、制限行為能力者のそれとは異なり、現存利益に限定されません。
④ 善意の第三者との関係
錯誤による意思表示の取消しは、善意無過失の第三者に対して主張することができません。これは、当事者間における有効な取引により権利を取得したと信じた第三者を保護する必要があるからです。
(5) 詐欺・強迫
① 意義
詐欺または強迫による意思表示は取り消すことができます。詐欺による意思表示とは、他人に欺かれて錯誤に陥ったことによってなされた意思表示のことをいいます。例えば、Bは、Aに対し、そのつもりがないのに、団体を作るためと噓をついて、Aから100万円の寄付を受けて、自らの生活費と遊興費に当てた場合です。強迫による意思表示とは、他人の強迫行為によって生じた恐怖心に基づき害悪を避けるためになされた意思表示のことをいいます。例えば、Dは、Cに対し、過去に借金の申入れを断られた腹いせに、家財道具を壊したり家族に暴力をふるうなどしたりして暴れたため、恐怖心を感じたCは、Dに100万円を渡して帰ってもらったような場合です。詐欺または強迫による意思表示では、表示と法律効果を欲する意思は一致しているが、その意思を形成するに際して表意者に外的な作用(詐欺・強迫)が加えられたため、自由な意思決定が妨げられた点に特徴があります。
② 要件
(ア) 詐欺による意思表示
詐欺による意思表示の取消しのための要件は、下記のとおりです。
㋐ 欺く行為
詐欺者には、①表意者を欺いて錯誤に陥れようとする故意と、②この錯誤によって意思表示をさせようとする故意、という二つの故意が必要であるとされています。
表意者を欺くとは、積極的に虚偽の陳述をした場合のほか、消極的に真実を隠す場合、沈黙する場合も含まれるとされています。もっとも、欺く程度が軽微な場合や状況が特殊な場合には、違法性を欠くことになるでしょう。
㋑ 詐欺と意思表示との因果関係
表意者を欺いたことにより、錯誤に陥って、その錯誤に基づいて意思表示をしたことが必要です。
㋒ 第三者による詐欺
第三者CがAを欺いて、AB間に契約を締結させたような場合には、その契約が締結された当時に、BがCによる欺いた事実を知っているか、知ることができたときに限り、Aは意思表示を取り消すことができます。これは、意思表示の相手方が詐欺を行ったわけではないからです。
(イ) 強迫による意思表示
強迫による意思表示の取消しのための要件は、下記のとおりです。なお、詐欺の場合と異なり、第三者による強迫の場合には、相手方が第三者による強迫の事情について善意無過失であっても、表意者はその意思表示を取り消すことができます。これは、詐欺にかかった者よりも、強迫を受けて意思表示をした者を強く保護すべきと考えられるからです。
㋐ 強迫行為
強迫者には、①表意者に恐怖心を生じさせる故意と、②この恐怖心によって意思表示をさせようとする故意、という二つの故意が必要であるとされています。
強迫とは、害悪を示して表意者に恐怖心を生じさせることをいいます。もっとも、強迫行為が違法でないときは、ここにいう強迫には含まれません。違法性の有無は、行為の目的と手段としての行為の両者を全体的に考察して判断されます。
㋑ 強迫と意思表示との因果関係
表意者を強迫したことにより、恐怖心が生じ、その恐怖心に基づいて意思表示をしたことが必要です。
③ 効果
詐欺または強迫による意思表示は、取り消すことができます。詐欺・強迫は表意者を保護する制度だから、その効果は無効ではなく取消しとされています。取消しに関する問題(取消権者・取消権の行使・取消権の効果・追認)は、錯誤の箇所で述べたことが当てはまります。
④ 善意の第三者との関係
(ア) 詐欺
詐欺による意思表示の取消しは、善意無過失の第三者に対して主張することができません。これは、表意者のした意思表示を信頼した第三者の利益を保護するためです。例えば、AがBの詐欺によって、所有する甲不動産をBに売却し、その後、善意無過失のCがBから甲不動産を購入した場合には、AはCに対し、詐欺を理由にBとの売買契約を取り消したとして甲不動産の引渡しを請求することはできません。
また、94条2項の規定と異なり、第三者が保護されるために善意だけでなく無過失が要求されているのは、相手方と通じて虚偽の意思表示をした方が、他人から詐欺を受けたことによって意思表示をした場合よりも、表意者に責められるべき事情があるからです。
(イ) 強迫
詐欺による取消しと異なり、強迫による意思表示の取消しは、善意の第三者に対しても主張することができます。これは、詐欺にかかった者よりも強迫によって意思表示をした者を強く保護すべきと考えられるからです(強迫によって意思表示したのはやむを得ないことであったと考えられるのです)。例えば、AがBの強迫によって、所有する甲不動産をBに売却し、その後、善意無過失のCがBから甲不動産を購入した場合には、AはCに対し、強迫を理由にBとの売買契約を取り消したとして甲不動産の引渡しを請求することはできることになります。
もっとも、Cは94条2項の類推適用によって保護される余地はあります。また、目的物が動産の場合は、即時取得によって保護されます。
(参照条文)民法93条、94条、110条、192条、95条、96条、121条の2
(参考判例)大判昭和20年11月26日民集24巻3号120頁、最判昭和28年10月1日民集7巻10号1019頁、大判昭和6年10月24日新聞3334号4頁、最判昭和45年7月24日民集24巻7号1116頁、大判昭和12年8月10日新聞4181号9、最判昭和55年9月11日民集34巻5号683頁、最判昭和45年9月22日民集24巻10号1424頁(民法判例百選Ⅰ(第9版)20事件)、最判平成18年2月23日民集60巻2号546頁(民法判例百選Ⅰ(第9版)21事件)、最判平成元年9月14日家月41巻11号75頁(民法判例百選Ⅰ(第7版)24事件)、大判大正6年2月24日民録23輯284頁、大判大正7年10月3日民録24輯1852頁、大判昭和9年5月4日民集13巻8号633頁、最判昭和29年2月12日民集8巻2号465頁、大判大正11年3月2日民集1巻115頁、大判昭和13年2月21日民集17巻3号232頁、大判大正6年11月8日民録23輯1758頁
(参考文献)内田貴「民法Ⅰ(第4版)総則・物権総論」(東京大学出版会、2008年)60頁以下
四宮和夫・能見善久「民法総則(第9版)」(弘文堂、2018年)225頁以下
鈴木禄弥「民法総則講義(二訂版)」(創文社、2003年)152頁以下
我妻栄「新訂民法総則(民法講義Ⅰ)」(岩波書店、1965年)292頁、296頁以下、308頁以下
幾代通「民法総則(第2版)」(青林書院、1984年)265頁以下
(司法書士・行政書士 三田佳央)