(1) 契約の成立段階の規律
① 申込みと承諾以外の要素
契約は、申込みと承諾という双方の意思表示の合致により成立し(これを「諾成契約」といいます)、書面の作成その他の方式を具備することを要しないのが原則です(これを「契約自由の原則」といいます)。しかし、法律によって契約の成立段階において書面の作成その他の方式を要する場合があります。
例えば、保証契約は書面でしなければ効力を生じないとされています(これを「要式契約」といいます」)。
また、消費貸借(金銭などの貸し借りをする契約のことです)は、申込みと承諾の合致のほかに目的物の受け渡しを要するとされています(このような契約を「要物契約」といいます)。もっとも、書面でする消費貸借は申込みと承諾の合致により成立しますが、借主は貸主から目的物を受け取るまでは、契約を解除することができます。寄託(物を保管する契約のことです)も申込みと承諾の合致により成立しますが、書面によらない場合は、無報酬の受寄者(物を保管する者のことです)は目的物を受け取るまでは、契約を解除することができます。これらの場合には、書面でする契約に一定の効力を認めているといえるでしょう。
なお、契約が電磁的記録によってその内容が記録されたときは、書面によってされたものとみなされる場合があります。
次に、消費者等が契約をしても、一定期間内は、任意にその契約から離脱することが認められた制度があります。これを「クーリングオフ」といいます。例えば、訪問販売など一定の状況のもとで契約の申込みや締結をした者は、業者から法定の書面を受領した日から起算して8日以内は、契約の申込みの撤回や契約の解除をすることができます。契約の成立を認めたうえで、後戻りを可能にする制度です。
② 裁判所による規律
(ア) 概要
当事者間で契約が成立したのか否かが問題となった場合には、裁判所によって契約の成立を認めるのかという判断がされます。また、裁判所は、契約の成立を認めない場合でも、契約交渉を破棄した当事者に対し、損害賠償責任を負わせることがあります。
(イ) 契約成立の認定
契約は、申込みと承諾の合致により成立するのが原則ですが、実際には、契約の成立の認定にあたっては、取引慣行が重視されます。例えば、不動産取引については、諾成契約であるにもかかわらず、実務では、契約書の作成と手付金等の金銭の授受がないと、契約の成立は認められないといわれています。これは、このような時点に至って初めて契約内容に拘束されるとの当事者の意思が確立していると考えられているからです。
(ウ) 契約交渉破棄についての責任
㋐ 意義
契約の種類や内容によっては、契約に先立って相当期間に及ぶ交渉があるものがあります。このような契約において、途中で交渉が破棄された場合、破棄した当事者に対し、交渉の不当破棄により相手方が被った損害を賠償する責任を負うことを認めることがあります。
例えば、マンションの購入希望者において、その売却予定者と売買交渉に入り、その交渉過程で歯科医院とするためのスペースについて注文を出したり、レイアウト図を交付するなどしたうえ、電気容量の不足を指摘し、売却予定者が容量増加のための設計変更及び施工をすることを容認しながら、交渉開始6か月後に自らの都合により契約を至らなかったなどの事情があるときは、購入希望者は、当該契約の準備段階における信義則上の注意義務に違反したものとして、売却予定者が当該設計変更及び施工をしたために被った損害を賠償する責任を負うとした判例があります。
㋑ 義務の根拠
公証の不当破棄による注意義務は、信義則を根拠として認められています。信義則(信義誠実の原則)とは、社会共同生活の一員として、互いに相手の信頼を裏切らないように、誠意をもって行動することです。当事者間にどのような内容の権利義務が生ずるかを決定するにあたっては、信義則を標準とすべきとされています。社会的接触関係に入った当事者には、「信義則上相手方の期待を不当に侵害しない義務」があると考えられています。
㋒ 責任の性質
なお、この責任の性質については、不法行為責任であるとする見解と契約責任とする見解があります。両説の具体的な結果の相違点は、①消滅時効の期間、②要件、③損害賠償の範囲、④補助者の過失による本人の責任などがあるとされています。
③ 当事者の合意による規律
(ア) 契約成立の合意によるコントロール
契約の成立に関する裁判所の規律は、個々の事案において具体的妥当性のある解決をもたらすことを可能としますが、契約交渉をしようとする当事者にとっては予測可能性が低く不安定なものといえます。そこで、当事者が契約の成立を自らコントロールするための合意をすることがあります。これは、契約交渉における不安定な状態を、契約成立の前後を通じて当事者自身が合意によって規律し、予測可能性・法的安定性を高めようとするものです。その方法として、予約・手付といった方法が用いられます。
(イ) 予約
売買の一方の予約は、相手方が売買を完結する意思表示(これを「予約完結権」といいます)をした時から、売買の効力を生じます。これを一方の予約といいます。例えば、AB間で、Aの希望があり次第、Bは所有する甲パソコンを10万円でAに売却する旨の合意が成立した場合です。これにより、Aは予約完結権の行使の有無を通じて売買を成立させるか否かをコントロールすることが可能となります。Aが予約完結権を行使すれば、Bの承諾は必要なく、直ちに契約が成立します。Aが予約完結権を行使しない限り、AB間の売買契約はいまだ成立していないことになります。
なお、当事者の双方が予約完結権を有するものを双方の予約といいますが、この場合には、いずれか一方の当事者が求めれば売買契約が成立するので、売買契約自体がすでに成立しているのと実際上は変わらないことになります(たとえ売買契約自体が成立していても、両当事者がともに何も請求しなければ、現状は何も変化しないことは、予約だけの場合と同じです)。したがって、双方の予約をすることはほとんど無意味であるといえます。
予約完結権の行使について、期間の定めがあるときは、その期間を経過すると、予約の存在は意味を失うことになります。
予約完結権の行使について、期間を定めなかったときは、予約者(予約完結権行使の相手方のことです)は、相手方に対し、相当期間を定めて、その期間内に予約完結権を行使するかどうかを確答すべき旨の催告をすることができます。相手方がその期間内に確答しないときは、売買の一方の予約は効力を失います。これは、予約者における予約完結権が行使されるかどうから分からない不安定な状態を解消するためです。
(ウ) 手付
㋐ 意義
売買契約において、買主が売主に手付を交付したときは、買主はその手付を放棄し、売主はその倍額を現実に提供して、契約の解除をすることができます。契約を解除するとは、その契約を一方的に破棄するということです。例えば、Aは、Bから2,000万円で甲土地を購入する契約をし、その場で200万円を交付した場合において、このような手付には、契約が成立したことの証拠としての意味(これを「証約手付」といいます)をもちますが、それに加えて、契約を解除する権限を与えるという意味(これを「解約手付」といいます)をももつことになるのが原則です。
解約手付は、契約の拘束力を弱める側面を有すると考えられます。すなわち、本来法律が定めた場合でなければ解除できないはずの売買契約を、解約手付が交付されている場合には、手付の放棄または倍額を現実に提供すれば解除することができるからです。解約手付は、両当事者に約定の解除権を付与する旨の合意の存在を意味するものといえます。
㋑ 手付による解除の手続
買主が解除する場合は、売主に対して手付を放棄する意思表示をすることによって行います。売主が解除する場合は、買主に対して手付の倍額の金銭を現実に提供することによって行います。売主が解除する場合に、手付の倍額を現実に提供しなければならないとされているのは、買主が解除する場合には、売主はすでに受領していた手付を確定的に取得することができるのだから、売主が解除する場合にも、同様に、買主に手付の倍額を確定的に取得させるべきだからです。
解約手付による解除は、相手方に対して解除の意思表示をして行います。なお、買主が解除するには手付を放棄する旨の意思表示もする必要がありますが、通常は、解除の意思表示に黙示的に含まれていると考えられます。
㋒ 履行の着手
解約手付によって契約を解除できるのは、相手方が契約の履行に着手するまでです。これは、相手方が契約の内容を実際に行った後にその契約が解除されると、相手方が不測の損害を被ることになるからです。そのため、自分が履行に着手していたとしても相手方が履行に着手していない場合は、解除することを認めるべきということになります。
履行の着手とは、債務の内容である給付の実現に着手することをいうとされています。具体的には、①客観的に外部から認識することができるような形で履行行為の一部を行うか、または、②履行の提供をするために欠くことのできない前提行為を行った場合のことです。このような場合に契約を解除すると、相手方に不測の損害を与えることになるからです。
履行の着手にあたる例としては、AはBから、C所有の甲土地を購入する契約をし、その後にBがCから甲土地を取得した場合です。BはCから甲土地を取得した行為は、AB間の売買の調達行為にあたるので、単なる履行の準備行為にとどまらず、履行の着手があったものといえます。
㋓ 損害賠償との関係
解約手付によって契約を解除しても、損害賠償を請求することができません。解除の相手方は手付の放棄・倍額の償還により損害が補償されているからです。
㋔ 宅建業法による規制
宅建業者は、自ら売主となる宅地建物の売買契約の締結に際して、代金の額の2割を超える手付を受領することができないとし、かつ手付はすべて解約手付だとみなしています。買主保護のためです。
(2) 情報提供義務(説明義務)
① 意義
判例によると、契約の一方当事者が、当該契約の締結に先立ち、信義則上の情報提供義務を負う場合があるとされています。これは、当事者間に契約を締結すべきか否かに関する判断に影響を及ぼす情報の量や処理能力に大きな格差がある場合、その格差による不利益を他方当事者が甘受することが適当でないと考えられることがあるからです。このことから、一方当事者が負う提供すべき情報は、契約を締結すべきか否かに関する判断に影響を及ぼす情報であるといえます。これに関して、信用協同組合が実質的な債務超過の状態にあって経営破綻の現実的な危険があることを説明せずに出資を勧誘したことは、信義則上の情報提供義務に違反するとした判例があります。
② 義務の根拠
情報提供義務は、信義則を根拠に認められるとされています。社会的接触関係に入った当事者には、「信義則上相手方の期待を不当に侵害しない義務」があると考えられているからです。
③ 責任の性質
情報提供義務に違反して締結された契約によって相手方が被った損害を賠償する責任の性質について、判例は、不法行為責任であるとしています。これは、締結された契約は、情報提供義務違反によって生じた結果として位置付けられるので、この義務が当該契約によって生じた義務であるということは「一種の背理」であり、債務不履行責任であるといえないからとされています。
④ 効果
契約締結前の情報提供義務に違反した効果は、上記の損害賠償責任の発生のほか、意思表示の取消し(錯誤・詐欺)の原因ともなります。解除については、否定する見解が有力だとされています。
(参照条文)民法522条、446条2項3項、587条、587条の2第1項2項本文4項、657条、657条の2第1項2項、1条2項、556条1項2項、557条1項2項、540条、709条、割賦販売法35条の3の10~12、特定商取引法9条、宅建業法39条
(参考判例)最判昭和59年9月18日判時1137号51頁(民法判例百選Ⅱ(第9版)3事件)、最判昭和29年1月21日民集8巻1号64頁、最判昭和40年11月24日民集19巻8号2019頁(民法判例百選Ⅱ(第9版)42事件)、最判平成23年4月22日民集65巻3号1405頁(民法判例百選Ⅱ(第9版)4事件)
(参考文献)内田貴「民法Ⅱ(第3版)債権各論」(東京大学出版会、2011年)22頁以下
中田裕康「契約法(新版)」(有斐閣、2021年)110頁以下
「新版注釈民法(13)債権(4)契約総則(補訂版)」(有斐閣、2006年)409頁
鈴木禄弥「債権法講義(四訂版)」(創文社、2001年)139頁以下、226頁以下
「新版注釈民法(14)債権(5)贈与・売買・交換」(有斐閣、1993年)162頁以下
広中俊雄・星野英一編「民法典の百年Ⅲ」(有斐閣、1998年)329頁
我妻栄「債権各論中巻1」(岩波書店、1957年)264頁
我妻栄「新訂民法総則」(岩波書店、1965年)34頁以下
四宮和夫・能見善久「民法総則(第9版)」(弘文堂、2018年)23頁以下
(司法書士・行政書士 三田佳央)